内科の診察室。 不安げな面持ちの早智子、辺りを窺いながら椅子にかける。 早智子の服は、かなりの部分が黒に取って代わっている。 ドクターがカルテとレントゲン写真を手に、足早に現れて−。 |
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| ドクター | いやぁ、お待たせしちゃいました? すみませんね、ちょっと腹の具合がおかしくてね。いやぁ、お恥ずかしい。まさに医者の不養生ってやつですな。で、結果なんですがね。 |
|---|---|
| 早智子 | (固唾をのむ)はい。 |
| ドクター | 別に異状ありませんね。ずばり、健康体。安心してください。 |
| 早智子 | (拍子抜けして)…嘘でしょう? |
| ドクター | いやいやいやいや、ホントですよ。 |
| 早智子 | そんな、バカな。 |
| ドクター | いや、バカはないでしょう、あなた。ちゃんとレントゲン撮ったんですから。 |
| 早智子 | お願いです、本当のことを言ってください。 |
| ドクター | だから、ずばり、健康体。安心してください。 |
| 早智子 | 安心できないから言ってるんです。 |
| ドクター | …まいったね、こりゃ。 |
| 早智子 | 先生、まいってるのは私なんです。 |
| ドクター | 例えばね、あなた癌です、と言われてショックを受けるのなら分かりますよ。でも健康ですと言って落ち込まれた日にゃあなた…。 |
| 早智子 | もう一度よく見てください。お願いします。 |
| ドクター | …あなた、私の話、聞いてます? |
| 早智子 | 聞いてますよ、もちろん。 |
| ドクター | じゃ、いいですか。よぉく聞いててくださいよ。1回しか言いませんからね。 |
| 早智子 | …分かりました。 |
| ドクター | (威厳をもって)健康体です。おめでとう。 |
| 早智子 | …で? |
| ドクター | でって、いやいやいや、だから何ですか、でって? |
| 早智子 | 実は…とか、と言いたいところだが…とか何とか続くんでしょう? |
| ドクター | 続きませんよ。勝手に続けないでくださいよ。 |
| 早智子 | 私、覚悟はできてますから。 |
| ドクター | …まいったね。 |
| 早智子 | 必要なら肉親に連絡を取ります。言ってください。兄がいますから。兄に連絡を取りますから。そう言ってください。 |
| ドクター | (レントゲンを示し)きれいなもんです。影なんてどこにもない。何の疑わしいとこもない。必要なら健康だっていう診断書、出しましょうか? |
| 早智子 | …本当に何ともないんですか? |
| ドクター | 私、竹を割ったような性格です。何事にもストレートです。嘘は言いません。 |
| 早智子 | ………。 |
| ドクター | よろしいでしょうか? |
| 早智子 | だったら。 |
| ドクター | はい? |
| 早智子 | …どうして胃が時々痛むんですか? |
| ドクター | そりゃまぁ、痛むとしたら… |
| 早智子 | 痛むんです。 |
| ドクター | ストレスですよ。精神的なものですね。 |
| 早智子 | ストレス…? |
| ドクター | だからまぁそういう意味じゃ、ストレスからくる胃潰瘍の予備軍とは言えますけどね、けどそれはあなた、健康体の人もひっくるめて万人がそうなんですから。 |
| 早智子 | 私、太ったんです。 |
| ドクター | 何ですか、今度は? |
| 早智子 | だから体重です。この1週間で7キロ太ったんです。 |
| ドクター | じゃ胃が痛むの、食い過ぎですよ。 |
| 早智子 | 痛むのは食べたあとじゃないんです。 |
| ドクター | じゃ、やっぱりストレスですね。 |
| 早智子 | 関係はないんですか? |
| ドクター | 確かに急激な肥満は好ましくありません。でもいいですか、あなたの場合、こっから先、注意して聞いてくださいよ。 |
| 早智子 | …はい。 |
| ドクター | 今のところ健康体、影響は出てません。 |
| 早智子 | そんなおかしいじゃないですか。1週間で7キロも太って、それで体がなんともないなんて変でしょう? |
| ドクター | 肥満自体は病気じゃないんです。 |
| 早智子 | …病気じゃない? |
| ドクター | 肥満体になると陥りやすい病気というのは、ままありますよ。けど太ったからといって病気に直結するわけじゃないんです。 |
| 早智子 | ………。 |
| ドクター | よろしいでしょうか? 私、今またちょっと腹の具合でトイレに駆け込みたい気分なんですよ。 |
| 早智子 | …どうもすみませんでした。 |
| ドクター | 一応、お薬ね、痛み止めを2日分出しときますから。まぁ、痛むなと思ったときには飲んでみてください。気安めです。(急いでカルテに書く) |
| 早智子 | …分かりました。 |
| ドクター | じゃ、そういうことで。 |
ドクター、カルテとレントゲンを抱えて素早く出ていく。 早智子は椅子に座ってぼんやり…。それから、なにげなくバッグからチョコレートを出すと、ゆっくりと食べ始める…。 と、少女が恐る恐る後じさるように現れ、続いてにじり寄るように桶を手にした老婆が近づいてくる。 その老婆は澄香にそっくりである。 |
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| 少女 | …お菓子の家を壊すつもりじゃなかったの。 |
|---|---|
| 老婆 | いいんだよ。 |
| 少女 | おなかが空いてただけなの。 |
| 老婆 | 何にも怒ってないよ。森の中をたくさん歩いて疲れただろう?(チョコレートを差し出し)ほら、このチョコレートをお食べ。(と手探る様子) |
| 少女 | …おばあちゃん、目が悪いの? |
| 老婆 | ああ、ちょっと悪くしてね、よく見えないんだよ。いいからほら、お取り。 |
| 少女 | (チョコレートを受け取って)ありがとう。 |
| 老婆 | さぁ、一緒に中へおいで。お兄ちゃんも待ってるから。 |
| 少女 | (驚く)お兄ちゃんがいるの? |
| 老婆 | ああ、慌てて逃げ出したからはぐれたんだろう? |
| 少女 | ホント? ホントにお兄ちゃん、中にいるのね? |
| 老婆 | ほら、あそこだよ。 |
と、格子戸を掴んだ、捕らわれの少年の姿。 少年は絶望の淵から泣きそうな声で−。 |
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| 少年 | 逃げるんだ…! そいつは魔女だよ…! |
|---|---|
| 少女 | (驚く)…お兄ちゃん! |
| 老婆 | (ニヤリ)仲良しごっこはもう終わりだよ。 |
| 少年 | 早く、遠くへ逃げるんだ。そいつは目は見えなくても匂いで分かるんだ。 |
少女、とっさに逃げ出そうとするが老婆=魔女に先回りされて−。 |
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| 少女 | どうして? |
|---|---|
| 魔女 | お前たちのおいしそうな匂いが、その服にたっぷり染みついてるんだよ。 |
| 少女 | …服に? |
| 魔女 | どこまで逃げたって匂いで分かるんだよ。 |
| 少女 | (絶望してへたりこむ)…お兄ちゃん。 |
| 魔女 | (桶を突きつけ)分かったら、まずは水を汲んでくるんだ。そしたらおいしいものをこしらえるから、兄さんに食べさせておやり。お前の兄さんはたっぷり太らせなきゃならないからね。 |
| 少女 | 太らせるって…どうして…? |
| 魔女 | 決まってるじゃないか、私が食べるんだよ。 |
| 少女 | …! |
| 魔女 | さぁ、早くおし! |
魔女は悲嘆に暮れる少女を追い立てていく。 独り、森に水を汲みに出た少女、運命を呪いながら−。 |
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| 少女 | …帰りたい。森を抜けておうちに帰りたい。お兄ちゃん、きっと道は見つかると言ったのに…(ふと目に留まり)伝書鳩…! (走り寄って)お願い、お父さんに伝えて。私たちはここにいるって。ここで、じっと息をひそめて待ってるって。 |
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と、窓の向こうに継母の姿が見えてくる。 継母は父親をたしなめている様子。 |
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| 継母 | 子供たちのことは、もう忘れるんだね。あの子たちは森の奥に置いてきちまったんだから。今から見つけに行こうにもどこにいるのか分かりゃしないよ。 |
|---|
少女は伝書鳩に運命を託そうとする。 |
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| 少女 | ここよ。森のここにいるって。伝えて。そうだ、私の服の切れ端を、これをくわえてって。お願い。そうすればきっと…(伝書鳩は気まぐれに飛んでいく)あ…。………。…伝書鳩はいつもそう。伝えてほしい肝心なことは何も伝えてくれない。教えてほしい大事なことは何ひとつ届けられない…。 |
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窓の向こうは継母に代わって、捕らわれの少年に近づく魔女の姿。 |
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| 魔女 | どれ、指を出してごらん。どれくらい脂がのってきたか触ってみるから。 |
|---|---|
| 少年 | まだそんなに太ってないよ…。(そっと枯れ枝を差し出す) |
| 魔女 | (枝をはたき落とし)こんな枯れ枝でごまかされやしないよ。指だよ、指。お前のおいしい生身の指を出すんだよ。 |
| 少年 | ………。(泣く泣く指を指し出す) |
| 魔女 | (少年の指をなめて)話にならないね。あと10キロは太らなきゃ。 |
| 少年 | 僕、10キロも太れないよ。 |
| 魔女 | 食べればいいんだよ。簡単なことさ。10キロ太るまで食べ続ければいいんだから。さぁ、お食べ。 |
魔女、少年の口に強引に食べ物をねじ込んでいく…。 |
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| 少女 | …むりやり、お兄ちゃんを太らせようとしてる。…お兄ちゃんは、食べられるために食べさせられる。食べさせられて、太らされて、そして食べられる。魔女が食べるわ! 私、どうすればいいの? |
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少女、伝書鳩のいたあたりに何かが落ちているのに気がつく。 拾い上げると、それは携帯電話。 少女は恐る恐る数字を押して、耳にあてる。 と、早智子の仕事場の電話が鳴る。 早智子、ゆっくりと電話を振り返り、そのまま目を奪われる。 と、声。 |
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| 声 | 早智子さん! |
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早智子と少女、びくっとして立ち上がる。 そして少女は携帯電話を胸元に隠すようにして駆け去っていく。 |
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| 早智子 | (声の方に振り向いて)…福島君。 |
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ワンルームの仕事場。 部屋の入り口に、大きなバッグを持った福島が立っている。 電話が鳴っている…。 |
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| 福島 | 鳴ってますよ、電話。 |
|---|---|
| 早智子 | (振り返って電話を見る) |
| 福島 | あ〜駄目じゃないですか、また間食なんかして。(バッグをおろす) |
| 早智子 | え…?(手にしていたチョコレートに目を奪われる) |
| 福島 | 早智子さん、ここんとこ太り過ぎなんだから。(とチョコレートを取り上げ)電話、出ますね。(と電話に出て)もしもし、お待たせしました。あ、はい。すみません、ちょっと待っていただけますか。(送話口を押さえ)どうしますか? 女の人からですけど。 |
| 早智子 | 女…? 誰だろう…? |
| 福島 | (電話に)あのぉ、失礼ですが…? あ、分かりました、ちょっとお待ちください。(送話口を押さえ)澄香、って言えば分かると言ってますけど。 |
早智子、弾かれたように福島から電話をもぎ取って−。 |
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| 早智子 | (出て)何の用? 声も聞きたくないって言ったのはあなたよ。二度とかけてこないで! |
|---|
早智子、乱暴に電話を切る。 |
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| 福島 | (チョコレートをかざし)…あの、コレ、捨てていいですよね? |
|---|---|
| 早智子 | ………。 |
| 福島 | (ダストボックスに捨てて)今の、もしかして…? |
| 早智子 | 先週来た、あの図々しい女よ。 |
| 福島 | やっぱり。声の調子を聞いたときにそうかなぁって思ったんですよ。 |
| 早智子 | だったら取り次がなきゃいいでしょう! |
| 福島 | ………。 |
| 早智子 | …違う。私が勝手に出たんだったわね。 |
| 福島 | いや、ああ、そうですよね。次がないっていう手があるんですよね。やっぱりダメだなぁ、ぜんぜん気が利かないや。 |
| 早智子 | そんなことない。福島君、よくやってくれてる。謝らなきゃいけないのは私の方だわ。 |
| 福島 | 何言ってるんですか、いいんですよ、そんな。 |
| 早智子 | (頭を下げ)八つ当たりばかりしてごめんなさい。 |
| 福島 | やめてくださいよ。かえって僕、穴があったら入りたくなっちゃいますよ。 |
| 早智子 | 十分、反省したから。 |
| 福島 | 十分、分かりました。はい。畏れ多いくらいに(とひれ伏す)。…で、原稿のほうなんですけど…? |
| 早智子 | え? ああ、一応ざっとは書いたの。もう少し整理しようと思って考えてたんだけど、今からやるわ。(バッグからワープロを出そうと) |
| 福島 | すみません。 |
| 早智子 | だから謝らないで。 |
| 福島 | いや、なんか連続ものみたいになっちゃったじゃないですか、あの『ヘンゼルとグレーテル』。 |
| 早智子 | 私は喜んでるのよ、それだけ気に入ってもらえたってことだろうし。 |
| 福島 | 気に入ったんですよ、編集長が。もうツルの一声で決まりましたからね、よしコレ、連続でいってみようって。 |
早智子、いったん執筆体勢に入るが、手が動かない…。 |
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| 早智子 | …ねぇ、福島君。 |
|---|---|
| 福島 | はい? |
| 早智子 | 私、そんなに太った? |
| 福島 | いや、あのまぁ、痩せてきたとは言えないと思いますけど。 |
| 早智子 | スギがつくほど太った? |
| 福島 | …何ですか、スギって? |
| 早智子 | 福島君、来た早々言ったじゃない、「早智子さん、ここんとこ太りスギなんだから」って。 |
| 福島 | あれぇ? 言いました? そんなぶしつけなこと。 |
| 早智子 | 言ったわ。あの言葉、印象強かったもの。 |
| 福島 | (土下座して)申し訳ありませんでした。 |
| 早智子 | 違うのよ、勘違いしないで。責めようと思って聞いたんじゃないんだから。 |
| 福島 | いや、あの、思わず口が滑ったんだと思います。すみません。 |
| 早智子 | 違うの。福島君、言ってくれたじゃない、先週あんなことがあって。「人間、必要以上に食べたらいけないんです」って。それ聞いてね、ああ、そうだなぁって、私思った。だから、もっと痩せようと思ったの。痩せて、スリムになって、必要以上のものは受けつけないようにしようと思ったの。 |
| 福島 | あ、だから僕、今日持って来たんですよ。 |
| 早智子 | え…? |
| 福島 | なんせ、うち出版社ですから。そこらへんは任しといてください。こういうことでお役に立てなかったら意味ないですからね。 |
福島、機敏に大きなバッグを抱えてきて、何の気なしに早智子の目の前に中身をぶちまける。 それは大量の雑誌・書籍類、ビデオテープ…。 |
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| 福島 | 全部、ダイエットの本とか雑誌です。けっこう出てるんですねぇ、持ってくるのにちょっと苦労しましたけど。いや、あのほら、重くて。(ビデオを手にして)ビデオもあったんですよ。出版社のうちがこんなビデオ出してるとは知りませんでしたよ。 |
|---|---|
| 早智子 | ………。 |
| 福島 | …お気に召しませんでした? |
| 早智子 | …ビデオはね、私もずっとタイマー録画してたの。あるでしょ、ほら、テレビでやってる体操。女の人が何人か出てきてレオタードで運動するやつ。 |
| 福島 | ちょっと僕は、見たことないかもしれない…。 |
| 早智子 | 私も見たことないの。 |
| 福島 | え…? |
| 早智子 | 録画はするんだけど、1回も見たことないの。とればそれで安心しちゃうのかな、録画するだけで見ることのないテープがどんどんたまっていくの。 |
| 福島 | …あ、僕もよくあります、そういうこと。深夜番組とか録画するんだけど、そのままにしちゃってて…。 |
| 早智子 | あの人、私よりスリムだったじゃない? |
| 福島 | え? …あ、あの人って…? |
| 早智子 | だから電話してきた、あの女。 |
| 福島 | …ああ、あの人。 |
| 早智子 | あのとき、私よりスリムだったでしょ? |
| 福島 | え〜?そうですか? 早智子さんのほうがぜんぜん普通だと思いますけど。 |
| 早智子 | スリムだったわ、指。 |
| 福島 | 指、ですか? |
| 早智子 | そう。まるで枯れ木の小枝みたいだったわ。 |
| 福島 | そうですかぁ? |
| 早智子 | だからよけい思ったの。痩せようって。痩せて、スリムになって、必要以上のものは受けつけないようにしようって。…でも、そう思えば思うほど、取りあえず蓄えとかなきゃって思うの。もう食べないんだから、もう栄養とれないんだから、仕事に専念するんだから、取りあえず食べて、いつ必要になるか分からないけど、取りあえず食べて蓄えとかなきゃいけないって、そう思えて… |
ノックの音。 早智子と福島、はっと振り返る。 |
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| 福島 | …誰だろう? |
|---|---|
| 早智子 | 僕、みてきます。 |
福島、玄関口へと去る。 と、電話が鳴る…。 早智子、じっと電話を見ていたが、苛立ちをあらわに電話へ−。 |
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| 早智子 | (出て)もしもし? …! どうしてかけてくるのよ? もう渡すものも渡したし、はっきりさせたでしょう? …え? ………。バカなこと言わないで、どうしてここに主人がいるのよ!(叩きつけるように切る) |
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と、福島が舞い戻ってきて−。 |
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| 福島 | …あ、あの、ご主人なんですけど。 |
|---|---|
| 早智子 | ! |
早智子が驚いて振り返ると、須藤が立っている。 |
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| 早智子 | あなた…。 |
|---|---|
| 福島 | あ、なんかすみません、散らかしっぱなしで。(と雑誌類を集めつつ須藤に)いや、あのこれ、僕がぶちまけちゃったんです。すぐ片づけますから。 |
| 須藤 | (早智子に)いきなり訪ねて来て悪いと思ったんだけど。 |
| 早智子 | …別に構わない。 |
| 須藤 | 電話するのも仕事の邪魔だろうし、どうせ邪魔するなら直接訪ねたほうがいいと思ったものだから。 |
| 早智子 | だから、構わないわ。 |
| 福島 | あのじゃ、すみません、僕、ちょっと出てきますね。 |
| 早智子 | いいのよ、福島君。(須藤に)原稿、待ってもらってるの。手短にね。 |
| 福島 | いやあの、でもあれだから。適当に戻ってきますから。だから…だからって言うのもヘンですけど…。早智子さん、コレあっちの方に置いときますから。 |
福島、重いバッグを抱えてあたふたと出ていく。 |
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| 須藤 | 玄関のチャイム、壊れてるんだな。 |
|---|---|
| 早智子 | …ああ、もうずいぶん前からなの。 |
| 須藤 | …少しは痩せてくれてるのかと思ったら、逆なんだ。 |
| 早智子 | …用件を言って。 |
| 須藤 | あ、ああ。…初めは驚いたんだ。君が彼女にすんなり渡したって聞かされて。 |
| 早智子 | あなたが望んだことだわ。 |
| 須藤 | …僕は望んでなかったんだよ。 |
| 早智子 | 何言ってるの、いまさら。持ってこさせたのはあなたよ。判だって先に押してあった。 |
| 須藤 | だから君はほっとしたんだ。 |
| 早智子 | …ほっとした? 私が? |
| 須藤 | 僕は彼女とはわざとそうなったんだ。君がどう出るかと思って。 |
| 早智子 | ………? |
| 須藤 | ああいうことになって別れ話を持ち出せば、何の躊躇もなく君は受け入れるんじゃないかって。その結果が知りたかった。 |
| 早智子 | 試したの? |
| 須藤 | 試してたのは君の方だ。 |
| 早智子 | …え? |
| 須藤 | この1年近くずっとだ。仕事で遅いとき、徹夜になるとき、君はずっと電話をかけてきた。無言の電話だ。それで僕が出ると、じっと息を殺して窺うんだ。 |
| 早智子 | …私が何を窺うのよ? |
| 須藤 | 女だよ。女が来てるんじゃないか、そばにいるんじゃないか。君は黙って、息を殺して気配を感じ取ろうとするんだ。 |
| 早智子 | ………。 |
電話が鳴る。 早智子と須藤、ともに動かない。 |
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| 早智子 | (突然)うるさいわ! 出てよ、福島君! |
|---|---|
| 須藤 | …彼はいないよ。 |
電話が鳴る。 早智子、一瞬はっと須藤を見て、冷静を装いつつ足早に電話へ−。 |
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| 早智子 | (出て)はい。…あ、どうも。…いえ、いつもご迷惑ばかりかけて…。…あ、はい、今、代わります。(と送話口を押さえて振り返るが慌てて電話に戻り)あの、すみません。彼ちょっと出ちゃってて、私が用事を頼んだんです。頼んだのは私です。…え? …社に電話するように言えばいいんですね。…分かりました。…どうも。 |
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早智子、静かに受話器を置く。 |
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| 須藤 | …君が望んだことなんだよ。 |
|---|---|
| 早智子 | ………。(振り返って須藤を見る) |
| 須藤 | だけど彼女と一緒になる気もないんだ。今はホテルで暮らしてる。それだけは言っておこうと… |
| 早智子 | ちょっと待って。 |
| 須藤 | …何だい? |
| 早智子 | あなた、何にも分かってない。 |
| 須藤 | 分かったんだよ。 |
| 早智子 | どうして私がそんなこと望むの? だって私はあなたのこと、私が望んでたのはあなたにもっと私のことを… |
| 須藤 | 全部読んだんだ、君の作品。 |
| 早智子 | …作品? |
| 須藤 | 君のことが少しは分かるかもしれないと思ったから。短編とかエッセイとか、探して全部読んだんだ。 |
| 早智子 | 今そんな話、関係ないわ。 |
| 須藤 | その中に、僕は一度だって登場してこないんだよ。 |
| 早智子 | え…! |
| 須藤 | 登場してくるのはいつも、お義兄さんなんだ。 |
| 早智子 | (混乱)…兄さんが…? どうして…? |
| 須藤 | …何にも分かってないのは、たぶん君の方なんだよ。 |
早智子、夢遊病のようにワープロに戻って画面を見る…。 |
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