歯科医の診察室。 わざとらしいくらいに明るい室内。 白衣のドクターに続いて、25歳の早智子が不安げに現れる。 早智子は真っ白い服を着ているが、その一部はシミのように黒い。 早智子はバッグ、ドクターはレントゲン写真を手にしていて−。 |
|
| ドクター | …これといって悪いところはありませんけどね。 |
|---|---|
| 早智子 | ない? |
| ドクター | 少々歯石がたまってますが、痛みがあるほどの虫歯はありませんよ。 |
| 早智子 | と言われても、実際痛むんですけど。 |
| ドクター | と言われても、レントゲンで見ても何ともないんですから。 |
| 早智子 | …虫歯じゃないんですか? |
| ドクター | 悪いところはきれいに詰めてありますし…。 |
| 早智子 | じゃ、どうして痛むんですか? |
| ドクター | と言うより、そもそも痛み自体が間違いだと思うんですけど。 |
| 早智子 | 痛み自体が間違い…? |
| ドクター | 虫歯があればレントゲンに出ますからね。 |
| 早智子 | 気のせいだって言うんですか? |
| ドクター | ………。(しげしげとレントゲンを見る) |
| 早智子 | それって違ってません? |
| ドクター | あなたのですよ、このレントゲンは。今撮ったんですから。 |
| 早智子 | そうじゃなくて、もっとちゃんと診てください。 |
| ドクター | だから見てるじゃありませんか。 |
| 早智子 | 写真じゃなくて私です、私の歯。本当に痛むんですから。 |
| ドクター | …おかしいなぁ。 |
| 早智子 | 本当なんです、だって痛まないほうがおかしいんですから。私、甘いものを毎日、メいっぱい食べてたんですから。 |
| ドクター | でも歯磨き、ちゃんとしてるんでしょう? |
| 早智子 | はい、毛先が球ですけど。 |
| ドクター | (一瞬分からず)…ああ、抗菌コートの。 |
| 早智子 | 山ぎりカットの方がいいんでしょうか、それともやっぱり歯医者さんが考えたリーチじゃないとマズいんでしょうか。 |
| ドクター | …詳しいですね。 |
| 早智子 | 調べましたから。 |
| ドクター | 患者の鑑です、お見事。 |
| 早智子 | (身を乗り出し)痛みと関係あります? |
| ドクター | (きっぱり)全然ありません。 |
| 早智子 | ないんですか? |
| ドクター | 要は磨き方ですから。 |
| 早智子 | でも効果が違うからいろんな歯ブラシがあって、それ宣伝してるんじゃないんですか? |
| ドクター | 多少は違うのかなぁ…。 |
| 早智子 | 違うのかなぁって…だって歯医者さんが考えたって、リーチですよ、考えたんでしょう? |
| ドクター | 私じゃないですよ、考えたの。 |
| 早智子 | 私、12本持ってるんです。 |
| ドクター | …何を? |
| 早智子 | 歯ブラシですよ、いろんな種類そろえて。 |
| ドクター | ………。 |
| 早智子 | だからお金はあるんです。 |
| ドクター | は? |
| 早智子 | 治療費かかったっていいんです、だからちゃんと見て下さい、私のこと。 |
| ドクター | 別に金で診ないって言ってるんじゃないんです、レントゲンが診てもしょうがないって結論を… |
| 早智子 | 見てもしょうがない? |
| ドクター | いや、勘違いしないでください。私だって医者ですから原因があれば、そりゃ何とかしますよ。 |
| 早智子 | 私はちゃんと見てほしいだけなんです、私のことを。だって痛むんですから。原因はきっとあるんですから。 |
| ドクター | (立ち上がり)…歯石、取りますか。 |
| 早智子 | それだけ? |
| ドクター | (思わず)何をしろって言うんですか、私に! |
| 早智子 | ………。(絶句) |
| ドクター | …すみません。 |
| 早智子 | すみません、気を悪くされたのなら謝ります。すみませんでした。だから… |
| ドクター | だから、取りあえず歯石を取りましょう。 |
| 早智子 | ………。 |
| ドクター | 歯石取って、それでもまだ痛むようでしたらもう一度、詳しく検査してみますから。 |
| 早智子 | …分かりました。 |
| ドクター | 口、ゆすいでてください。すぐ戻りますから。 |
ドクター、迷惑をあらわに診察室を出ていく。 早智子はぼんやりと歯を押さえる…。 それからおもむろにバッグに歩み寄り、煙草を取り出すと戻ってきて、1本抜き取って火をつける。 しばらく。 と、福島がケーキを手に現れる。 |
|
| 福島 | …なんだ、いるんじゃないですか。 |
|---|---|
| 早智子 | あ、福島君。 |
| 福島 | どうしたんですか、電気もつけないで。 |
| 早智子 | 電気…? |
| 福島 | 目ぇ悪くなりますよ、こんなに暗い中で仕事してると。 |
| 早智子 | 暗いって…?(見あげる) |
ふっ、と明かりが落ちて薄暗い部屋。 |
|
| 福島 | 瞑想でもしてたんですか? |
|---|---|
| 早智子 | …気がつかなかった、こんなに暗くなってたんだ。 |
| 福島 | 電気ついてなかったから、まだ戻ってないかと思ったんだけど、あ〜落ちますよ、灰。(慌てて奥へ) |
| 早智子 | あ…。(手にしている煙草に目を奪われる) |
| 福島 | (奥から)早智子さん、なんかアイデア浮かびました? |
| 早智子 | え? …ああ、まだダメ。 |
| 福島 | 毎週毎週(灰皿を手に現れ)大変だとは思いますけどねぇ…。電気つけていいですか? |
| 早智子 | あ、ゴメン。 |
福島、電気をつけると室内が明るくなる。 ワンルームの早智子の仕事場。 主のように居並ぶパソコン、FAX、電話、大型テレビ&ビデオ、オーディオ…。 |
|
| 福島 | でも評判はグーなんですよ、早智子さんのページ。文章は面白いし発想がユニークだって読者からの反響いいし、編集長もベタボメでしたから。 |
|---|---|
| 早智子 | …福島君には迷惑かけて悪いと思ってる。 |
| 福島 | いや別にそれならそれで。夜は長いですし、明日までにラフだけ突っ込めればいいんですから。あ、そうだ、ケーキ買ってきたんですよ。食べますか? |
福島、ケーキを差し出すが、早智子は立ち上がって電話へ。 |
|
| 福島 | …なんか、機嫌損ねました? |
|---|---|
| 早智子 | (相手は留守録らしい)…あたしです。仕事場の方で徹夜になりますから今日も帰れないと思います。すみません。こちらから連絡しますから、仕事場には電話かけてこないでください。 |
早智子、受話器を置くが、ぼんやりとその場を離れない。 |
|
| 福島 | …ご主人、怒ってました? |
|---|---|
| 早智子 | 留守録だった。いつも遅いの、お互いさま。 |
| 福島 | 申し訳ないです。 |
| 早智子 | 福島君が謝ることないわよ、自業自得だもん。 |
| 福島 | こういうとき、僕もなんか気が引けるんですよね。皆さん、一生懸命やってるのは分かっていながらせっつくようで…。 |
| 早智子 | 悪いのは私よ。さぁて、いっちょやるか。 |
| 福島 | よろしくお願いします。 |
早智子、バッグからノート型ワープロを取り出す。 |
|
| 福島 | 僕、何か作りましょうか。 |
|---|---|
| 早智子 | え? |
| 福島 | 晩めし。けっこう得意なんですよ、徹夜態勢だったらおなか空くでしょう? |
| 早智子 | あ…。(言いよどむ) |
| 福島 | かえって気が散りますね。やめときましょう。 |
| 早智子 | ゴメン、おなか空いてないの。 |
| 福島 | じゃ僕、そこのコンビニで何か買ってきますよ。 |
| 早智子 | いいのよ福島君、気使わないで。 |
| 福島 | でも何にもナシじゃ体もたないですから。 |
| 早智子 | 大丈夫。 |
| 福島 | 腹が減っては戦はできぬってね。ひとっ走り、すぐですから(手帳を出して)何食べたいか言ってください。 |
| 早智子 | ほんとに空いてないの。 |
| 福島 | おにぎりとかカップ焼きそばとかおなかにたまるものがいいですか、それともクッキーとか簡単なものの方がいいかな。 |
| 早智子 | ほんとに、食べる時間だってもったいないし… |
| 福島 | じゃ適当に買ってきます。(行こうと) |
| 早智子 | (思わず)要らないって言ってるでしょう! |
| 福島 | ………。(絶句) |
| 早智子 | |
| 福島 | あ、いや、いいんです、すみません。なんか勝手に仕切ろうとしちゃって、これじゃかえって邪魔ですよね。 |
| 早智子 | …原稿、明日までにあげるから。 |
| 福島 | …あ、はい。 |
| 早智子 | 間違いなく、明日までに仕上げるから。 |
| 福島 | ………。 |
早智子、仕事を開始する。 福島、なんとなく居心地が悪い。 |
|
| 福島 | …あっちのパソコンは使わないんですか? |
|---|---|
| 早智子 | 最近、ここが落ち着くの。 |
| 福島 | ………。(ふぅん、と何度もうなづく) |
| 早智子 | ………。(黙々とキーを打っている) |
| 福島 | 音楽…とか気が散りますよね、すみません。 |
早智子、仕事を中断し、無言のままリモコンで音楽をかける。 |
|
| 福島 | …すみません。 |
|---|---|
| 早智子 | 退屈な曲しかないの。 |
| 福島 | なんかまた邪魔しちゃったみたいで…。 |
| 早智子 | 気にしないで、平気だから。 |
| 福島 | あ、そうだ、僕、ちょっと今から社に帰ります。明日の入稿のこととか、デザイナーにも連絡しなくちゃいけないし。 |
| 早智子 | …分かった。ちゃんとやっとくわ。 |
| 福島 | よろしくお願いします。頑張ってください。 |
福島、そそくさと出ていく。 早智子、黙々とキーを打ち続ける。 と、音楽に紛れて声が、小さく聞こえてくる。 |
|
| 少女の声 | 私たち、もうおしまいだわ。 |
|---|---|
| 少年の声 | しっ、静かに。泣くんじゃないよ。僕がきっとなんとか切り抜けてみせるから。 |
電話が鳴る。 早智子、はっと振り向いて電話を見る。 少女と少年の声は消え、電話の音だけが響いている。 早智子、電話へ向かう。 |
|
| 早智子 | (出て)もしもし…? ………。 |
|---|
切れたらしい。 早智子は電話を置くとワープロへと戻ろうとするが、ふと福島が置いていったケーキが目に留まる。 早智子、ゆっくりと近づいてケーキの箱を手に取り、恐る恐る中を開けて見る。じっと中のケーキを見ている…。 と、突然、素手でケーキをつかんで餓鬼のようにむしゃぶりつく。 がつがつと凄じい勢い…。 再び電話が鳴る。 早智子、はっと振り向いて電話を見る。 それから手にあるケーキに気づくと、箱ごと床にたたきつけ、飛びつくように電話に出る。 |
|
| 早智子 | (出て)もしもし? …あ、あなた。…電話しないでって…ちょっと待って。 |
|---|
早智子、いったん受話器を置き、バッグからタオルを出して乱暴に口を、続いて受話器をぬぐう。それから電話に戻って−。 |
|
| 早智子 | もしもし、ゴメン。聞いたの? 電話しないでって入ってたでしょう? …分かってるわよ、分かってるけどしょうがないじゃない、仕事なんだから。別に気なんか変わってないわよ、異存はないわ。…だから連絡するから、異存はないって言ってるでしょう! …ゴメン。…いいわ、分かった。(切ろうとするが慌てて)電話、…もうしないでね、気が散るから。…分かった。 |
|---|
早智子、電話を切って振り返ると、ケーキの残骸が目に留まる。 いらついた足取りで奥からビニール袋を持ってきて、早智子はケーキを箱ごと袋に入れてダストボックスに叩きつけるように捨てる。 早智子、苛立ちを納めようとリモコンで音楽を切り、再びワープロに向かってじっと画面に見入る。 と、またしても、声たちが小さく忍び寄ってくる。 |
|
| 少女の声 | 私たち、もうおしまいだわ。 |
|---|---|
| 少年の声 | しっ、静かに。泣くんじゃないよ。僕がきっとなんとか切り抜けてみせるから。 |
早智子、真剣な顔でキーを打ち始める。 と、早智子のいるその室内に子供たちが飛び込んでくる。 その少年はプロローグの青年に、少女はセーラー服の少女にそっくりである。 |
|
| 少女 | でも今度は、もっと深い森の中へ連れていくって言ってたわ。 |
|---|---|
| 少年 | 大丈夫だよ、それでも僕がきっと切り抜けてみせるから。 |
| 少女 | どうやって? |
| 少年 | この前と同じようにまた白い小石を集めるんだ。そして行く道々、小石を投げていけば、今度も簡単に森の中から抜け出せるよ。 |
| 少女 | じゃすぐに集めましょう。たくさん集めておかないと、前よりももっともっと森の奥深くに連れていかれるわ。(とドアへ) |
| 少年 | 慌てないで。音をたてると見つかっちゃうから。 |
| 少女 | 開かない…! |
| 少年 | (驚く)え! |
| 少女 | ドアに鍵がかけられてる、開かないわ…! |
| 少年 | …そんなバカな。 |
少年と少女、必死にドアを開けようとするがビクともしない。 子供たちは絶望して、部屋の隅に寄り添うようにうずくまる。 ゆっくりと夜が明けて、悪夢に目覚める朝−。 静寂を打ち破って、継母が入ってくる。 継母はプロローグの女にそっくりである。 |
|
| 継母 | なまけ者たち、さぁ起きるんだよ。みんなで森に薪を取りに行くんだからね。さぁ早くおし。 |
|---|---|
| 少女 | …あたし、行きたくない。 |
| 継母 | わがままは許さないよ。お父さんも一緒にみんなで行くんだから。 |
| 少女 | 父さんはどこ? |
| 継母 | もうすっかり準備して表で待ってるよ、ほら、急ぐんだよ。 |
継母、子供たちにパンを渡して−。 |
|
| 継母 | それから、このパンがお前たちの昼ご飯だよ。 |
|---|---|
| 少女 | たったこれだけ? |
| 継母 | そうだよ。もうこれっきりなんだから、昼前に食べちゃいけないよ。 |
| 少年 | もっともらえませんか? |
| 継母 | これっきりだって言っただろ。 |
| 少女 | もっと欲しい。 |
| 継母 | 小さいお前たちにはこれだけあれば十分だよ。ほら、行った行った。 |
継母、子供たちを追い立てて外に連れ出していく。 窓の外に、通り過ぎて行く継母・少女・少年の姿が見える。 少年は後ろを振り返りつつ、パンくずを撒きながらゆっくりと歩いていく。 |
|
| 継母 | どうしたんだい? せっせと歩かなくちゃ駄目じゃないか。 |
|---|---|
| 少年 | 僕、僕の小鳩を見てるんです。あの伝書鳩、屋根の上に止まって、僕にさようならって言おうとしてるから。 |
| 継母 | ばかだね、あれは伝書鳩じゃないよ。上の煙突にさしている朝日じゃないか。 |
果たして継母と子供たち、森の奥深くにたどり着く。 |
|
| 継母 | さぁ、お前たちはここに座っておいで。疲れたら少しぐらいは寝ても構やしないよ。お母さんたちはもっと森の奥に行って木を刈ってくるからね。夕方、仕事がすんだら迎えに来て連れて帰ってやるよ。 |
|---|
継母、言い捨てて去っていく。 |
|